先日、コンビニで懐かしい曲が流れていました。
30代後半以上の方は皆さんご存じ、「EZ DO DANCE」です。
当時まだ小学生でしたが、爆発的にヒットしていたのは子ども心に覚えています。
特に、思い出深い曲ではありませんが、コンビニで久しぶりに聞いた時、昔とは違う聞こえ方をしたので帰宅してからゆっくりと聞いてみました。
そうすると、非常に感銘を受けたので詳しく書いてみたいと思います。
まずは歌詞から。
I can hear my voice
今 始まる
Midnight time から この場所で
行くあてが 同じ仲間と
全ての嘘 脱ぎさる
何もなくて 道もなくて
踊る君はどこから
逃げて行くの? 去ってゆくの?
不思議な程まぶしい
誘う夢 語り合って
傷なめ合ってる 堕天使
Easy Go Easy go 笑顔だけ
ひとときの輪をつなぐよ
※I've got feeling 突きぬけてく
街が目、醒ますころ
朝焼けにくちづけてる
波も抱きしめてる
Ez Do Dance Ez Do Dance
踊る君を見てる…
Ez Do Dance Ez Do Dance
君だけを見ている※
欲しいものは いつだって
不意に襲う偶然
見えない明日 突然に、
めぐりあえる ときめき
午前5時 永遠のルール
変わる瞬間
きっと きっと 愛なんて
呼べるものじゃないけど
(※くり返し)
この歌詞を読んでみて感じたのは、10代の頃への回顧でした。
気の合う友人たちと夜通し遊び続け、朝を迎えてもまだ遊び足りなかった時代です。
サビ前部分の
I've got feeling 突きぬけてく
街が目、醒ますころ
朝焼けにくちづけてる
波も抱きしめてる
という歌詞が10代特有の「独善的な多幸感」をうまく表現出来ているなと思います。
続けてサビの
Ez Do Dance Ez Do Dance
踊る君を見てる…
Ez Do Dance Ez Do Dance
君だけを見ている
という歌詞も秀逸で
「私が踊るのではなく、踊るあなたを見ている、あなただけを見ている」という感覚が、どこかはかなく刹那的な、10代そのものな印象を与えていると感じました。
時代的背景を考えてみても、「踊る私」や「踊ることのできない僕」が主人公になりがちだったそれまでの時代が過ぎ、「踊る君を見ている私」が主人公というのは90年代的な感覚だったのではないでしょうか?
また、
行くあてが 同じ仲間と
全ての嘘 脱ぎさる
こういうきれいごと、「全ての嘘を脱ぎさるという嘘」も10代の頃、良く使ってませんでしたか?笑
個人的な考察(邪推かな笑)ですが、こういう嘘を歌詞に混ぜるのも、小室さんの「曲をリアルなものにしたい」という狙いだったのではないかなと思います。
続いて音楽的な側面ですが、
この曲を聴いた時の印象として、多くの人がせわしないなと思うのではないでしょうか?
単純にBPMが早いというのもありますが、
転調の突然さというのも関係していると思います。
具体的な場所でいうと
I've got feeling 突きぬけてく~
です。
そこまでのクールな曲調がいきなりポップな曲調に移ります。移るというより切り替わるという言葉が近いくらい突然です。
これも10代の頃の、良く言えば「切り替えの早さ」悪く言えば「情緒の不安定」をうまく表現できているなと思いました。
最後にタイトルですが「EZ DO DANCE」
造語ですので個人的な見解になりますが、ダンスするのは簡単だってことでしょう。
メンタルとフィジカルは表裏一体。
机上の楽曲考察はそこそこに、身体を動かしなさいってことですな笑
Comments